洞窟の入り口から吹き込んできた海風で焚き火が揺れる。
パチリ、パチリと音を立てて弾ける木の音は心を落ち着かせてくれるが、眠れるようになるにはもう少し時間がかかりそうだ。
風避けに持参した外套にくるまっているのは、私一人ではない。

「狭くないか」
「いや、大丈夫です……」

やっぱり、今夜は一睡もできないかもしれない。





月明かりが入ってこない程度には真っ暗な空間で、私は膝を抱えていた。
今夜の天気は晴れで、雨の心配は一切なし。龍水に聞いたのだから間違いはない。お礼もそこそこに立ち去ってしまったため、彼が何かを言っていたような気もするが、聞こえないふりをした。
予め用意してきた布団代わりの外套を前からかけて、目を閉じる。
今日は、ここで夜を明かす。
誰に聞かせてもやめておけと口を揃えて言うだろう。
火は起こせるが、ライトはない。皆で作り上げた文明の利器は、然るべき時に然るべき人が使うものだ。たかだか一個人の、なんの得にもならない無謀な好奇心で持ち出すのはさすがに気が引けた。

「もう寝るしかない、寝るしか」

この状況にしては、少々間の抜けた声がむなしく響いた。
夜が明けるまで眠ってしまえという気持ちと、どうせ怖くてろくに眠れないのだから今すぐ戻ろうという気持ちがせめぎあう。
明日になってさぁ働くぞという時に倒れでもしたら、それこそ周りに迷惑がかかるだろう。それは絶対に良くない。

「……あした」

当たり前に来ると信じて疑わなかった、明日。
あの日突然奪われた未来。
船で沖に出た千空達が聞いた、声なき声。
怖くない、憎くないと言ったら嘘になる。しかしその感情に身を任せても何も変わらない。頭では理解しているつもりでも、握った拳の震えが止まらないから人間の心というのは厄介なものである。

不意に松明の明かりが視界に飛び込んできたのは、今まさに夜の闇に食べられそうになった時だった。

「な、なに、なんで……いるの?」

突然のことに悲鳴をあげることも逃げ出すことも頭に思い浮かびすらしなかった。
一人の男がうずくまる私にずんずんと近付いて来るのを、ただぼうっと見ていた。

「それはこっちの台詞だ!」

普段、女は皆美女であると豪語し、女性の扱いを心得ている筈の男が、龍水が、眉をこれでもかと釣り上げて私を睨んでいる。
彼の容赦のない大声が、暗闇に木霊した。


寒くなった時のためにと用意していた薪に火をつけると洞窟の中が照らされて、互いの姿が浮かび上がる。

「こっち来なよ。寒いから」

火に当たっていればなんとかなるだろうと被っていた外套を龍水に渡すと、彼は私のすぐ横に座りながら布を広げ、彼自身だけでなく私までもすっぽりくるんでしまった。

「マジか龍水」
「そのつもりじゃなかったのか」
「そこまでしろとは言ってないけど……」

言ってなくても、さらっとできてしまうのが七海龍水という訳か。

「寒さを凌ぐにはこれが一番有効な方法だ。違うか??」
「違わない」

こうして龍水は、洞窟で孤独なキャンプを決行しようとした物好きな女と一夜を過ごすはめになってしまったのである。





眠れないのなら少し話でもしようと持ちかけたのは、龍水だった。屋外でもよく通る彼の溌剌とした声もさすがにこの場では落ち着いたもので、焚き火と波風の音と調和しているような、どことなく此方が落ち着かない妙な雰囲気だった。

「話って……」

龍水と二人で話した記憶は、あまりない。彼の過去の栄光の話でも聞かされるのだろうか。それとも将来の夢?
龍水は、人類が石化しようがしまいが、私にとってはキラキラと眩い。眩しすぎる人間だ。

「そうだな。まずは貴様が何故こんな場所で一人夜を明かそうとしていたか、だ」
「え、なにこれ尋問?」
「まさか!単なる好奇心だぜ」

龍水は言葉通り目を輝かせている。説教されるわけではないらしい。
しかし彼が満足するような理由など到底持ち合わせている筈もなく、口が重くなってしまう。

「そんな大した事じゃないんだけど」
「構わん、俺に聞かせてみろ!」

聞かせてもらう人間にしてはずいぶんな態度だな、と思ってしまったのは、許して欲しい。

「……真っ暗な場所で一人でいたらどんな気持ちになるのかなーと、思って」

洞窟を選んだのだって単純に丁度良い場所かもと思っただけで、クロムやスイカのように役立つ何かを見つけたかったとか立派な動機は何もない。

「それだけか」
「うん。モノが目的じゃないから」

夜を照らす術がなかった石神村の人々は、最初の復活者となった千空は、どうやって暗闇の恐怖に堪えてきたのだろう。
まだまだこれからだと当の本人達は息巻いているが、こんな世界で電気一つを作り出すのだって、相当すごいことだ。
夜の恐怖に打ち勝った真の喜びは、暗闇の恐ろしさを知っている人間にしか理解できないだろう。

「浅はかだよねぇ。一晩で分かった気に、近付いた気になろうだなんて」

我ながら苦笑するしかない。いっそ龍水にも笑い飛ばして欲しかったが、彼はそんなことで誰かを笑うような人間ではない。それだけは、出会った頃から分かっていた。だから龍水には言えてしまった。こっちの動機の方が余程浅はかかもしれない。

「……フゥン、それで分かったのか?暗闇と孤独の味は」
「それなりに。なんにもできない一人は嫌だね、やっぱり」
「そうか。ならば、」

言葉を一瞬止めた龍水の瞳は、煌々とした街の夜景みたいに輝いている。
思わず見入っていると、先ほどまで大人しかった龍水の声が一気に爆発した。

「ならば貴様の孤独な夜は今日限りだな!名前、今、貴様の目の前には誰がいる?」
「えっ……りゅ、龍水?」
「そうだ。貴様も千空も、もはや一人ではない。二度と一人になどなりはしない!違うか?」
「ちがいません!」

反響する力強い言葉に気圧された私は、彼が欲しがる答えをまんまと口にしてしまったのだ。

「……でもまあ、不本意だけど嘘じゃない、か」

こうして語らっているうちに、腕に感じる体温を"心地よいぬくもり"として認識できるようになっている。

「龍水はすごいな。実はね、さっき龍水がここに入ってきた時、龍水が光って見えた」
「松明じゃないのか?さすがの俺も自ら発光はできん!」

できたらできたで面白そうだなと大口を開けて笑っている彼に、真面目にツッコミを入れて良いものか。

「例えだよ例え。龍水はさ、日が暮れるとよく見える、明るくて大きな一番星なんだよ。私にとっては」
「宵の明星か、悪くないな」
「なら良かった」

いっそ太陽にしろ!とか言われるかなってちょっぴり身構えていた。

「明けの明星は見たことあるか?」
「ないかなぁ。苦手だったし、早起き」
「ならば次はそれを見に行こう」

どちらも同じ星。難しい星の周期など、私にはとても計算できないけれど、待っていれば船が完成するまでにはお目にかかれる機会が巡ってくるかもしれない。

「少なくとも真夜中に女一人で抜け出すよりは健全だな!」
「ウッ……すみませんでした」

男女二人で明け方に抜け出すのも場合によってはどうなんだろう。そういうのをまさに逢い引きと言うのではないか。
私と、龍水。健全で楽しい天体観測ができそうである。
込み上げる笑いを隠すように、外套を肩まで引っ張り上げた。

「さっき貴様は大した事ではないと言ったが……」
「……ん」
「誰かの気持ちに寄り添おうと行動できるのは、美徳だ。誰にでもできる真似ではない。だから名前は胸を張って良い……もう寝たのか?」

返事はしなかった。できなかった。龍水が急に恥ずかしいこを言うからだ。
龍水も眠るのだろう。隣でもぞりと動く気配がする。私の頭の上に何かが被されたのが分かった。

「俺は貴様にとっての一番星か。フゥン、なかなか良い口説き文句だったぞ」
「そっそういう意味じゃない!!」
「なんだ起きてたのか!」

龍水の大きな笑い声が再び響く。
頭上に置かれた彼のトレードマークがずり落ちそうになったのを、慌てて押さえた。



2020.3.15 きらり一番星


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